なんかコツコツするなーとおもったら、きみかー。
なんかへんなのあがってきたとおもったら、きみかー。
とうとうシーバスきたっ!とこうふんしたら、きみかー。
抜けるような青空にうかぶ、真白い雲のような。
スカッと、くっきり、明るい。
小林厚治さんとマゴチング。
ちなみにこの写真、
海に落ちそうになってるわけではありません。
横浜サイコー!東京湾サイコー!のポーズだそうです。
となりで釣りしていたら、元気がうつりました。
ほんとは魚かかえて写真撮影のはずだったんですが、
この抜けるような空と真っ白な雲の前では、
まっさらな気持ちで、まっさらな釣果で、
なにも持ってないけど、夢だけは持っている少年のようにありたかった。
そういうわけで、魚は持っていないのである。
釣れたとか釣れないとかそういうのはもういいのである。
そう、負け惜しみなのである。
エネルギーをいただきました!
ありがとうございました!
追伸:あの後、釣れましたかー?
スマナサーラ師も養老先生も言ってることはおんなじで、
この世のすべては無常である、ということだった。
無常がゆえに希望がある、のだと。
これがわかりにくい。
無常って、つまりすべては変化しつづけるってことらしい。
でも無常という音は、日本語では無情と同じだから
どうもネガティブな印象がある。
そもそも変わりつづけるということは
「あしたがどうなるかわからない」ってことでしょう。
それは一般的にネガティブに使われる言葉だ。
そこにどんな希望がある?
みたいなことを考えながらも、
暗くなるまでの1時間限定勝負に近くの岸壁へ。
セルフタイマーで自分の後ろ姿でもとろうと思ったら
あせってルアーを海に落としてしまった。
その瞬間パチリ。アホか。
しかも完全無欠のボーズ。
1時間限定が2時間に伸びても、かすりもしなかった。
でもまた行く。ボーズが基本。
それでも行くのは、「釣れるかもしれない」と思っているからで
そのためにいろんな準備を積み重ね
その瞬間瞬間はけっこう期待にワクワクしているのである。
釣れないかもしれない。でも、
明日また海に行ったら何が起こるかわからない。
んん?
つまりこれが
「無常がゆえの希望」ってことなんじゃないの?
たしかに客が多かったし
前日から堤防に残ってる帰り客のことも気になっていただろう。
にしても、だ。
港から一番近い堤防に行く
俺がまっさきに降ろされるはずなのに、
渡船はべつの堤防へ。
堤防に立ち寄る順番が違う日もあるので、
そういうことだろうと思っていたら
船は他のぜんぶの堤防をまわり
帰り客を乗せたり、行き客を降ろしたりし、
そして港へと戻り出した。
おいおい!
俺、まだ渡してもらってない!
船長に大きく手を振り、「俺のこと忘れてるよ!」とアピール。
すると船長、あっ!という顔をした後、
ごめんと手をあわせ、そして「てへっ」という笑顔をつくった。
いや、まあ、うん、あるよ、だれしも、ミス。
でもでも、そこ「てへっ」じゃないよね。
朝まずめを狙いうための第一便、
ここですでに30分のロス。
「てへっ」で済む話じゃないっ!
ふー。
そして今朝の結果は「2サイト」。
かけた一尾のエラ洗い(もちろんバラしました)と、
ピックアップ寸前のソフトルアーにくらいつこう(もちろんノりませんでした)とする姿、
その「二尾の姿を見た」。