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その土地の自然との一体感を味わうために釣りを楽しむ人。

あけまして おめでとう ございます
みなさんのことが(※1) だいすきです
だから ことしも よろしくおねがいします

大物も 爆釣もいいけれど
その土地の自然との一体感を味わうために釣りを楽しむ人(※2)
になりたいです

磯をふらふら(※3) 海をぷかぷか したいです
いっしょに 釣り いってください!

2013お正月

※1 このブログを読んでる人はすごく少ないんですが
   ぼくが把握する限り、ぼくのとても好きな人たちです。
※2 そんな釣り人を一言で言うと、、、ってしばらく考えたんですが浮かびません。
※3 あ、この休みに五島でも磯に行ったです。クウルさんと。
   心技体揃わないと釣れないヒラスズキ。その心の鍛錬でした。

もっと遠く!

天気がわるいから釣りに行けない。
仕事がたまっているから釣りに行けない。

というこんなときはついつい脳が釣りの妄想に走りがちになる。
こんな攻め方をしたらどうだろう。とか
あそこをさぐってみたい。とかね

エロいな。
釣りどエロ。

もっと遠く!って、ぼくもそう思います。

ビリビリ

撮ってる姿にくぎづけ。
なんかもう生きてるっていうエネルギーがウォーッ的な。
アラーキーの撮影風景にビリビリきた!

午後から行った沖堤では2バラシのみ。
2日連続のボーズにビリビリきた!

8月6日

すいぶん前、何を思ったか
「座禅クラブ」なるものに入ったことがあって、
そこでは禅堂で2時間くらい座禅を組んだ後、
お茶を飲みながら反省会をやるのが常だった。

座禅に集中できなかった人は
その反省会(座禅のように静かな反省会だった)で
「今日はよくすわれませんでした」という言い方をしていて
それがむずがゆい感じがしたのだけれど、
今日みたいに釣りに集中できなかった日は、
この座禅クラブ反省会のことを思い出す。

地球を征服するつもりか?
っていうくらいボラがいて、エイもやたらと見かけた。
家に帰ってきてテレビをつけてから、今日が8月6日だったと気づいた。

無常と希望の関係性。

スマナサーラ師も養老先生も言ってることはおんなじで、
この世のすべては無常である、ということだった。

無常がゆえに希望がある、のだと。
これがわかりにくい。
無常って、つまりすべては変化しつづけるってことらしい。
でも無常という音は、日本語では無情と同じだから
どうもネガティブな印象がある。
そもそも変わりつづけるということは
「あしたがどうなるかわからない」ってことでしょう。
それは一般的にネガティブに使われる言葉だ。
そこにどんな希望がある?

 

みたいなことを考えながらも、
暗くなるまでの1時間限定勝負に近くの岸壁へ。
セルフタイマーで自分の後ろ姿でもとろうと思ったら
あせってルアーを海に落としてしまった。
その瞬間パチリ。アホか。

しかも完全無欠のボーズ。
1時間限定が2時間に伸びても、かすりもしなかった。
でもまた行く。ボーズが基本。
それでも行くのは、「釣れるかもしれない」と思っているからで
そのためにいろんな準備を積み重ね
その瞬間瞬間はけっこう期待にワクワクしているのである。
釣れないかもしれない。でも、
明日また海に行ったら何が起こるかわからない。

んん?
つまりこれが
「無常がゆえの希望」ってことなんじゃないの?