夕方の便で五島を発ち東京へ向かうと、夕日が沈む方向と逆に向かって飛ぶことになる。
太陽は一気に沈んで、夜が急速にやってくる。
夏休みの終わりにこの飛び方をすると、「はい、夏おしまい!」と言われた気分になる。
ただでさえセンチメンタルな状況なのに追い打ちをかけられる。まったくもう。
毎年同じ夏を繰り返しているようでそうではないんだなあとか、
じつは毎年人も海もまるっきり変わっているんじゃないかなあとか、
だから今この瞬間ってことしかないんじゃないかなあとか、
そんなことを考えちゃって、とことん釣りにのめりこむ、って感じじゃなかったなあ。
お盆のころの五島っていうのは、いろんな念がうずまいて、なかなか釣りに集中できない。
いや、もちろんそれでも釣りに行くんだけど。
こうして写真を並べると、写真の情報量の少なさにきづく。
その瞬間にその場に「いる」っていうことの情報量の圧倒的な多さっていうのは
すごいもので、ぼくの写真ではそんなの伝えきれない。
その時、その場に「いる」っていうのを大事にしたい。
魚のこと。魚と海との不思議な関係性のこと。
魚を追い求める人たちが持っている、狩猟本能っていうだけじゃ片づけられないよくわからない情熱のこと。
「その場にいる」ことで、そういうことを感じつづけたい。
釣れると楽しくて
釣れたらいいなって思う人に釣れるのは最高で
釣れたらいいなあって話してるのはいい時間で
釣れないっていうのも一歩引いてみると良いもんだ。
夏終了。
せつないけれど、せつなさは大事にしたい何かがあることの裏返しだから、
せつなさはせつなさのままでよし。
思いきりせつなければそれでよし。