月別アーカイブ: 2011年8月

無常と希望の関係性。

スマナサーラ師も養老先生も言ってることはおんなじで、
この世のすべては無常である、ということだった。

無常がゆえに希望がある、のだと。
これがわかりにくい。
無常って、つまりすべては変化しつづけるってことらしい。
でも無常という音は、日本語では無情と同じだから
どうもネガティブな印象がある。
そもそも変わりつづけるということは
「あしたがどうなるかわからない」ってことでしょう。
それは一般的にネガティブに使われる言葉だ。
そこにどんな希望がある?

 

みたいなことを考えながらも、
暗くなるまでの1時間限定勝負に近くの岸壁へ。
セルフタイマーで自分の後ろ姿でもとろうと思ったら
あせってルアーを海に落としてしまった。
その瞬間パチリ。アホか。

しかも完全無欠のボーズ。
1時間限定が2時間に伸びても、かすりもしなかった。
でもまた行く。ボーズが基本。
それでも行くのは、「釣れるかもしれない」と思っているからで
そのためにいろんな準備を積み重ね
その瞬間瞬間はけっこう期待にワクワクしているのである。
釣れないかもしれない。でも、
明日また海に行ったら何が起こるかわからない。

んん?
つまりこれが
「無常がゆえの希望」ってことなんじゃないの?